「――最後だと思いたいだろ。だから、全部話しておきたいんだ」
※本記事に関して、身バレ防止のために結構な数のフェイクを織り交ぜております。
予めご了承下さい。
※結構痛々しい表現が多いです。経緯以降のパートを読む際はご注意ください。
マジで役に立ったもの
痛々しい話を始める前に、今回の骨折の時に無かったら終わってただろうなというものをいくつか紹介。
橋の付いた箸。(激ウマギャグ)
右肘がイカれた結果右手でご飯を食べれない生活を1年くらい続けていて、最初は使い捨てのフォーク/スプーンで食べていたのだが、実家からこれが届いたので使ってみたところ普通に食べやすいし左手で箸を使う練習にもなった。
一ヶ月くらいフォークとかスプーンで食べていた中でお箸が使えるようになると少し元気が出たというのもあって結構オススメ。
・スリング
本当はAmazonで買ったわけではなく、病院で医療用のものを買ったのだがちょうどいい画像がなかったので代用。多分Amazonのやつだとここにお財布とか鍵とか入れれるからこれはこれで便利だと思う。
一人暮らしで生きているため、片腕が負傷すると三角巾を結んで吊るすという行為が出来ない。固定のために常時付けておきたいのだが解けた時に積むので、そういうことが起こりえない首掛け+固定タイプの固定具は無いと状況によっては終わる。寝てるときも付けてたくらいにはずっと付けていた。ずっと固定していたからこのあと酷い目にあったのでは説もある。
他、洗い物が出来ないのでお皿は全部使い捨てにしたり、レンチンとかお湯入れるだけで作れてフォークとかスプーンで食べれるもので食事を統一したなど細々としたライフハックはあるが、とりあえずこの2つ抑えておけばだいぶマシになる。
登場人物
とりにく:自分。当時29歳。
手術の先生:大ベテラン。手術をするどころか手術を教える側にもいる人。
リハビリの先生:ベテラン。リハビリ局の副局長。
リハビリ代理の先生(女性):夏頃にリハビリ中「趣味とか何してるんですか?」って聞かれたので「MtGとかそういうカードゲームです」って言ったら、ちょうど違法ポーカーで燃えている時期だったため「あっトモハッピーのヤツ!」と言われ苦い顔をした。
リハビリ代理の先生(男性):オススメのアニメを聞かれたので「冰剣の魔術師が世界を統べる」を薦めたところ物凄い苦い顔をされた。
と、主治医の皆様はかなりベテランで占められている。そのレベルで大変な患者だったらしい。
経緯
それはある冬の日のアラサーの一コマ――。
「急ぎのお使いおわり! 走って戻らなきゃ! とりあえず急いでるから公園突っ切ってくか!」
そして、20センチくらいの、道路と公園を軽く区切っている程度の柵を飛び越えようとして――、
「あっやべっ引っかかっ」
ビターン!!!!!!!!
「うあああぁぁぁぁ…………」
ピーポーピーポー……。
と、勢いよくコケたために大変なことになった。
痛すぎるし動かなかったので、「これが骨折か……」となった。人生初骨折である。
最初にこの記事には身バレを防ぐためにフェイクを入れていますと言ったが、ここの部分に関しましては一切の嘘偽りはない。
人はこの程度で1年を棒に振るしなんなら後遺症もかなり残る(かもしれない)怪我をする。
このパートを書くためだけにこの記事を書いていると言っても過言ではないレベルなので、皆様はいつまでも自分の運動神経を過信しすぎないでほしい。
老いは平等に訪れる。
怪我直後の病院~1度目の手術
右橈骨と尺骨の骨折と診断された。
皆様にもわかりやすく言うと、肘は2本の骨で支えられている体の部位である。
その骨が2本とも逝った。
さらに、折り方が悪かったためか、片方は綺麗に折れたがもう片方はグシャッとなっているしもしかしたら剥離骨折も起こしてるかもね、という診断。骨の表現としてグシャッとなっているはおかしいだろ。
とまあそんな感じで手術を薦められ、骨に関しては全治3ヶ月から半年ほどとのこと。
とりあえず出先の病院だったため、応急処置・一旦の固定を終え、帰宅の路についた。
「生活費ヤバいなー」となったので、親に「骨折った! 生活滅びそうだから金貸してくれ!」と泣きついたところ「詐欺?」と聞かれたので写真を送って信頼と金銭を得、
会社には「多分しばらく勤務無理です」と伝えたところ「状況的に労災降りるよ~」と言われたので、直近の生活の滅びだけは回避。
ちなみに腕が折れても痛み止めを飲んだら意外となんとかなったしその日は悪友会で配信する日でマスターデュエルが始まった直後くらいだったので左手一本でマスターデュエル配信をしていた。
翌日。家からバスで通えそうなところにあった整形外科の病院が地域で一番デカいことを確認したので、即病院へ。
先生からは「結構酷い怪我だね」「プレート入れるからとりあえず手術ね」となり、一度目の手術が決まった。医者に結構酷い怪我って言われたときの絶望感はすごい。
で、その期間の間お着替えに関しては病院にTシャツを持ち込んで着替えさせてもらったりしている。そういうの出来るよーって言われたときは素直に受け入れよう。一人暮らしで片腕が終わると生活が概ね終わるため。
仕事も出来ないしやることが本当にないので、その時ホワイトアルバム2をやっていた。
元気なんですか? と思ったかもしれないがやることが無いと人は腐るのでこのくらいは許して。
とまあなんやかんやで2月後半、怪我から2週間ほどで一度目の手術に。骨がくっつくまでプレートで固定するための腕の手術である。
手術当日に入院し、局所麻酔を受け翌日退院のスケジュール。この時点でプレートを抜くためにもう一度の手術は確定している。
長くても2~3時間程度と言われていたので、手術の間眠れるように前日夜更かしをして当日を迎えた。
そして局所麻酔を受け、あと眠くなる成分のお薬を点滴から入れてもらいいざ本番。
~3時間半くらいあと~
「まだ終わってないの……?」
「剥離骨折も起こしてた。そっちも元に戻すのでもうちょっとかかるね」
「ひぃん……」
しっかり眠ったためもう一睡することが出来ず、なんなら予定より長い時間手術していたので手術後半は微妙に感覚も戻ってきた。
チクチクと腕を縫われる感触は忘れられない。
結局4時間近くの手術になった。人生初手術が過酷すぎるだろ。
とはいえ、痛みをなくすブロック注射が効いているためか、痛みに関してはそこまでなかった。
問題はブロック注射が切れてから。
「アーーーーーーーーー!!!!!!!!」
落ち着いていた骨折による痛みが、手術による痛みでパワーアップして帰ってきた。
痛み止めの座薬を尻から入れてもまだ痛みはひどく、その夜は眠れずに一夜を過ごした。
良かったことは病院食が思ったより美味しかったことだけ。
1度目の手術後~2度目の手術
手術後もしばらく痛みは残ったが、しばらく経つと今度は「治った時のために、ある程度動かし始めましょう」ということでリハビリを始めることに。
最初のうちは右手の指もあまり動かせない状況だったが、そっちの方はすぐになんとかなって右手で何かしらの作業をできるようにはなった。具体的に言うと当時のミリシタのイベント曲であったIGNITEのMMをフルコン出来るくらいには。*1*2*3
とはいえ、未だに右腕はスリングで吊り下げた状態。どう考えても接客は不可能なのでお仕事はしばらくおやすみモードだった。
そうして順調に腕が治ってきたので、スリングが外れてある程度元気になった腕を開放して動かすようになったのがおおよそ4月後半。
が、リハビリに関しては少々問題があり、リハビリの先生の想像以上に動きが悪い、とのこと。どんな感じかというと、腕をひねったり伸ばしたりするとある特定の場所でピタッと止まるみたいなそんな感じ。
腕を固定し続けていたため、肘の関節が固まったという感じで、それを動かせるようになるために肘を中心に動かしていこうという感じなのだが……。
このときから、傷口周辺に「癒着」というものがしこたまくっついているのでは、という疑いが出始めた。
簡単に説明すると、怪我や手術によって傷つけられた細胞同士がくっつこうとするが、細胞が元気すぎてくっつくためのボンドを出しすぎたので変なところも一緒にくっついたというはた迷惑な回復現象である。
これを剥がすために使われたのがリハビリ用のゴムバンド。傷口近くに巻き付けてゴリゴリ動かすことによって負担をかけ骨とか関節にくっついた癒着を無理やり剥がすという手法である。メチャメチャ痛い。
リハビリの先生曰く、「新しいリハビリ法」「比較的若者なので結構強く出来る」*4とのことで、年配の方々と違いしっかりと動かしてリハビリ出来るため外から見てもわかりやすいので他の病院の人とか医大生の見学対象になっていたしこの後の手術の話も込みで勉強会の話題の種になっていたらしい。ブログを書く前から院内ではすでに見世物になっている。
とはいえ、右手はある程度動かせるようにはなった。
時期的にもGW終わりくらいで職場に復帰して*5、5月末に骨のくっつき具合を見るレントゲンでもちょっとした問題が発生。
「止めてたネジがちょっとダメな方に出てるね」*6
「ワァ……」
「でも思ったより骨はくっついてるから、ちょっと早いけどプレートを抜く手術を早めにやって、完全にくっつくまでは安静に過ごしたほうが安全だね」
「ワ! ワ!」
「ついでに癒着も剥がすからちょっとは動きがマシになるといいね」
「ワァァ!」
「抜くのは早ければ早い方がいいから手術室空いてるし来週手術やろっか」
「早ない?」
というわけで6月に二回目の手術。当日に病院に行ってプレートを抜いてそのままお家に帰るいわゆる日帰り手術。
手術に関しては無事に終わり、2時間ちょっとくらいで終わった。
途中一回起きた時に物凄いガンガンとかギュイーンというトンカチやらドリルの音がしてメチャメチャ恐怖を感じたし、*7
手術後麻酔で感覚がない状況で「こんなに動きますよー」と腕をプルプル動かすのを見せられたが感覚がないのにメチャメチャ動いてて死ぬほど気持ち悪かったが。
癒着の量に関しては先生曰く「3ヶ月でこれなら回復力が高いタイプだね」と言われ、リハビリの先生からは「回復力高くないと野生では生きていけないから……」*8というフォローもいただいた。僕は文明社会に生きているのだが?
ついでにこの話をツイートしたらフォロワーに「無限回復するボスの倒し方」扱いされた。泣いていい?
……ちなみに。
これは事前に説明されていたので仕方がないのだが、ネジが一本肘に残っているので、今後飛行機に乗る時に金属探知機に絶対引っかかる体となった。
また、労災の申請周りで会社とちょっとゴタついたので、労災でのお金が降りたのがこのあたり。親に借金してなかったら生活がマジで滅びていた。*9*10
2度目の手術後~3度目の手術
プレートも外れて痛みも収まってきたタイミングから、再びリハビリ漬けの生活に。
夏頃からは装具も用いてお家でも休む間もなく腕に負担をかけ続けるようになった。後この頃にコロナにもかかった。
……が、リハビリを重ねても腕の曲げ/伸ばし、およびひねりの動きはよくならない。
怪我から3回目の手術を行った1月までで回復した範囲は左腕に比べて5割程度。日常生活に相当な支障が出ている。*11
リハビリの先生曰く、「またピタッと止まるようになった」とのこと。これは先生たちの推測ではあるが、プレートを取った時にある程度は表面の癒着を剥がしたのだが、最初の怪我が大きすぎてもっと関節の内側にも癒着がくっついているだろうし、2回目の手術の後にまた癒着がついてきたらしい。
2回の手術とリハビリでここまでしか回復せず、場合によっては今後の人生ずっとこの感じで生きていくしかないのでは? という話にまでなった。
が、ここは地域で一番の整形外科、そして主治医は結構なベテラン。
ひとつの解決策を用意してもらった。
授動術手術。
再び腕を開いて神経をより分けたり関節を分解したりして中の癒着を無理やり剥がしたりしていくという、リハビリの先生曰く「ダイナミックな手術」とのこと。普通手術にはダイナミックという枕詞は付かない。
大病院の部類であるこの病院でも年間で2,3人くらいしかやらないような結構な規模の手術になり、全身麻酔を受けないといけないレベルの大工事。が、残りの人生の間左の5割程度でしか利き腕を動かせないのは流石に厳しい。全身麻酔の説明を受けて正直メチャメチャ怖かったが、受けることとした。
手術決定が10月、手術決行が年越してからの1月中旬。今までのスピード感しかない手術と違って震える期間が3ヶ月ほど与えられた。
そしてこれは本当に最後の方法と言われていたため、癒着が固まりやすい術後3週間は毎日病院に通えと言われた。
とまあ全身麻酔に震えている時に「当日は全身麻酔かかるんで何も出来ないしまな板の上の鯉のような気持ちで待っていてください」と言われ「釣りたての鯉は跳ねれるけどぼくは動けないんですが……」と震え声で返したり、
「先生たちはファンキーなので動かせるようになるようガンガン手術していきます」「ファンキーな先生?」
「とりにくさんはまだ若いので攻めていきます」「峠か何かですか?」
と不安しか煽られない会話を交わしつつ、年を越して歳を重ねて3度目の手術の日。
今回は前日入院、当日手術、翌日退院という病院ガッツリコース。さらに前日から水分摂取の指定や食事制限まで。濃縮された病院生活がそこにあった。
そして手術の時。「眠くなる薬を入れますよー」と言われて入れた瞬間意識がフッと飛んで気付いたら病室まで帰ってきていた。
今までと違って腕には術後の痛みなどは無かった*12が、本当に一瞬で意識飛んだのマジで怖いから二度とやりたくないしベッドの上から動けないので翌朝までおちんちんに管を入れていたのだが抜いた時アホほど痛かったので最悪だった。
というか本当に夢も見る間もなく気付いていたら終わっていたので「人は死んだらどこにいくんだろう……」って気持ちになった。これ腕の手術の感想?
ちなみにこの回の手術時間はおおよそ3時間半ほど。最初の手術より短かったらしい。
あまり不安には思っていなかったが、とりあえず科学の犠牲にならなくて良かった。
3度目の手術~現在
たくさんの数え切れない痛みがあったが、授動術手術の甲斐あって腕の動きは明確に良くなった。
まだリハビリを続ける必要はあるが、先生曰く「かなりイケそう」とのこと。
現に今、1年越しで右手でお箸を使ってご飯を食べることが出来なくはない状況まで回復した。*13そして今後のリハビリでまだ良くなる余地もある。未来は明るい。
……が、これで回復するのは曲げ伸ばしに関しては最大95%程度。ひねりも9割行けば良さそうという感じ。
最初のクソしょうもない骨折理由から、後遺症まで残る怪我をしたということである。
「ひとつだけ、お願いがあります」
この恥しかない骨折実録を残した理由は簡単で、そしてそれはすでに説明済みだ。
最後にそれを振り返って今回の文章を締めよう。
「動かなくなってしまった腕の理由、
時々でいいから……」
「急ぎのお使いおわり! 走って戻らなきゃ! とりあえず急いでるから公園突っ切ってくか!」
そして、20センチくらいの、道路と公園を軽く区切っている程度の柵を飛び越えようとして――、
「あっやべっ引っかかっ」
ビターン!!!!!!!!
「うあああぁぁぁぁ…………」
「思い出してください」
「手術が終わって、後遺症という感じではないのですが極稀に関節から余計な骨が生えることがあります」
「怖……生えてたら? また手術?」
「そうですね。でもあんまりないことです」
「嫌な予感しかしねえ……」
「とりあえずは大丈夫そうです」
「良かった~」
「けどここの部分(レントゲンで撮った部分)怪しいんで要経過観察ですね」
「怪しいって何?」
このブログを上げた日の診察結果である。まだ終わんないかもしれない。
*1:でも流石に右の負担が少ない押し方しかしてない
*2:デレステはその時INFINITYだったので適当に放置とかで流した
*3:ついでに書いとくとデレステに関しては怪我期間中も全部イベント報酬は取りきっている
*4:比較対象:70か80とかの方々
*5:職場には復帰するけど週2~3でリハビリには通っている
*6:軟骨に当たりそうとか言われてた
*7:何が起こってるかは見れないようにされていた
*8:この先生に「左手の小指突き指したことある?」と聞かれて「分かんないです……」と答えたら「もしかしたら知らない間に小指突き指した後回復してちょっと変な方に曲がったかも」って言われた。こんな知らないところで怪我して気付かないまま回復したとかいう謎エピソードある?
*9:お金は全額返しました
*10:クソほどどうでもいいけどこのお金、実はぼくが結婚した時に渡すつもりだったお金だったって後で言われて結構な精神ダメージを負った
*11:正確には曲げ6割、伸ばしが4割ほど、外のひねりが7割ほど、内側のひねりが3割程度。5割を切ってるところが生活への支障出まくりのところなので悪い方に治りが悪い
*12:術後のアホみたいな痛みがないだけでリハビリやるたびに動かしてなかった筋肉がびっくりして痛みを伝えてくるためまだ痛い
*13:ちょっと食べにくいけど食べれないことはない